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「浪人街」に「許されざる者」はいるか

人は「ルール」をどのようにとらえるのか

人事の役割の一つに、会社のルールを作り、ルールを守るよう社員に働きかける、というものがある。国内資本・海外資本双方の企業でさまざまな国籍の人たちと協働する機会に恵まれた私は、人々がルールをどのようにとらえるのかという点について、おおむね3種類に分類できると考えるようになった。 つまり、

  1. 何はともあれ、ルールは守るべきものである
  2. 上手くやりすごせば良いものである(ルールを守る/守らないは危険と利得とを勘案して判断すればよい)
  3. 変えることができるのであれば、ルールは変えるものである

概して、日本のビジネスパーソンと欧米文化圏で育ったビジネスパーソンとの間には差があるように感じる。それは、3のようにとらえる人の多寡である。前者では1、2の多さに比して3が少なく、後者では3のようにとらえる人は珍しくない。いわゆる「グローバル人材(一国に限られず、世界中のポジションに任じられることが前提となる人)」やその候補者となるような人に焦点をあてると、差はさらに顕著になる。

「浪人街」と「許されざる者」

私の感じるこの「差」を説明するために助けとなる映画があるので紹介したい。「浪人街(1990年版)」と「許されざる者(クリント・イーストウッド版)」である。これから外国資本の企業に就職/転職するという方はもちろん、仕事をする中で「どうして外国人はルールを守らないのか?」と感じたことのある方は、時間のあるときにぜひ見比べてみてほしい。

まず、それぞれの映画を簡単に紹介しよう。

浪人街(1990年版)
「竜馬暗殺」の黒木和雄監督が、江戸末期の下町を舞台に、そこの裏界隈を生きるアナーキーな浪人たちの人間模様を描いたチャンバラ時代劇。江戸の下町。食い詰め浪人が集うところ。この街で夜鷹が次々と斬られていく事件が発生する。犯人は遊び半分に凶行におよぶ旗本一党だった。権力を傘に悪行を繰り返す一党に、反骨の浪人たちが立ち上がる……。相手は120人。対する浪人は片手にも満たない。はたして、浪人たちに勝ち目はあるのか?
引用元:http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=151163

 

許されざる者(クリントイーストウッド版)
無冠であったイーストウッドがアカデミーの作品・監督賞を勝ち取った渾身の傑作ウエスタン。荒事からは足を洗っていたウィリアム・マニーの元へ若いガンマンが訪れる。娼婦に傷を負わせ賞金をかけられた無法者を追うためだ。マニーのかつての相棒ネッドを加えた3人は追跡行に出かけるが、その頃、町の実力者の保安官ビルは疎ましい賞金稼ぎたちを袋叩きにしているところだった。やがてビルの暴力が黒人であるネッドにも及んだ……。西部に生きるアウトローたちの戦いの虚しさを描くが、決してアクションに終始する作品ではなく、静謐なタッチで人々の生きざまを見つめている。
引用元:http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=24136


「浪人街」に「許されざる者」はいない

タイトルに戻ろう。「浪人街」に「許されざる者」はいるか?結論から言うと、いない。浪人街の人々は、敵役の旗本を含めて、みな許されている。では、「許されざる者」では誰が許されざる者なのか。傷を負わされた娼婦を含め、全員である。

メルクマールは「ルールを引き受けているか否か」である。

浪人街に出てくる浪人や娼婦はみな貧しい。生きるために、まっとうでないこともしなければならない。娼婦のひも(原田芳雄)、刀の試し切り屋(石橋蓮司)、仕官を夢見つつ糞にまみれて鳥の世話をする鳥屋(田中邦衛)、売春宿の用心棒(勝新太郎)。地を這い、泥をすする生活である。しかし肩寄せ合い、時にはいがみ合い、自分の欲望に忠実に、奔放に生きている。とても人間臭い。 浪人達がそれぞれの思いから横暴な旗本へと立ち向かっていく姿に、観るものは共感し、クライマックスの大立ち回りでは十分なカタルシスを得ることができる。 浪人達と旗本との騒動の後、程なく、幕藩体制が終わりを迎えたことが映画の最後に告げられる。驕れる者は久しからず、である。

浪人街には社会的に弱者とされる人たちの逞しい生命力が描かれている。そこでは「既存の秩序」と「自分らしく生きること」は分離している。むしろ、弱者であるがゆえの奔放さが彼らの魅力であるともいえる。そして、弱者を弱者たらしめていた当の秩序は、彼らの物語とは無関係に崩壊していく。
許されざる者に出てくるガンマン、カウボーイ、娼婦らもみな一様に貧しい。伝説的な悪党であるマニー(クリント・イーストウッド)とネッド(モーガン・フリーマン)、娼婦のまとめ役であるストロベリー・アリス(フランシス・フィッシャー)、保安官のリトル・ビル(ジーン・ハックマン)。各々が仲間(家族)を率い、危うい均衡の上で共生している。リトル・ビルが街の秩序を「守るため」に振るう暴力は、その均衡を崩す。そしてその無秩序を収拾するのは、マニーの暴力である。 マニーは2つの「最低限のルール」を街に課して秩序を回復した後、姿を消す。

許されざる者には、秩序の作り上げられる過程が描かれている。この映画において秩序とは、必ずしも利害が一致しない者同士が共生するために必要な要素である。ルールは秩序を維持するための手段に過ぎない。ルールが手段である以上、策定者の恣意性から逃れることはできない。それがあらたな争いの原因となることもある。ルールを課すということは、集団間に潜在的な不正義を課すことでもある。その意味で、街に「最低限のルール」を課したマニーは当然許されざる者だし、仲間にルールを課してきたリトル・ビルやストロベリー・アリス、それらリーダーに従うこと(そしてマニーの課した最低限のルールを守ること)を自ら選んだメンバーすべてが、許されざる者なのだ。

私たちは許されざる者になれるか

私は「浪人街(1990年版)」が大好きである。キャスティングも素晴らしいし、なんといっても「圧倒的な強者に対して一矢報いる」というモチーフが琴線に触れる。本作品が戦前の初作に始まり、戦中、戦後を通じて4回目のリメイク作品であることから、過去多くの日本人がこのモチーフに魅力を感じてきたことがうかがい知れる。

そんな私たちが「許されざる者」のような世界観を背景とする人たちと一緒に仕事をする場合は、気をつけなければならない。彼らにとってルールは手段であり、恣意性を敢えて引き受けている。彼らに「私もおかしいと思うんだけどね、仕方ないんだよ、ルールだからさ。」と言っても共感は得にくい。「おかしいと思うのならなぜ変えないのか?」と聞き返されて終わりである。
だからといって、皆がみなマニーのようになる必要もないだろう。和をもって貴しと為す、ではないが、ルールを守ることに重きを置くのは決して不徳ではないからだ。そもそも、「許されざる者」は大陸から飛び出した人たちが「切り取り自由」で作った国の出来事なのだから、そのような歴史的経緯のない私たちが、一様に彼らのようになれるわけもない。では、何に気をつけるのか。

彼らとの協働において、「なぜこの人が、この人のこの提案についてサポートコメントを出すのだろう?」という場面に私は何度も出くわした。彼らの協力関係の核は、表面的にはわからないことがままある。出身大学、入社年次、出身部門などは、その理解にはほとんど役に立たない。大切なのは、ルールの前提(目的)に敏感であることだ。
彼らは現状変更に対する抵抗感や不安感は少なく、変更がもたらす自らへの利害に関心がある。そして、不確かな将来に向けて、自分の利害の行方とそれが一致する人を常に見極めようとしている。有能な人ほどそのセンスに長けている。浪人街出身者が許されざる者たちのひしめくビジネスシーンで活躍するにあたって、少しでも自身の味方を増やすため、先の敏感さが必要となる所以である。

浪人街に生きる者として

さて、許されざる者たちとの協働はさておき、浪人街で生きていくのであれば、滅私奉公よりも自分らしさを第一義としたほうがよほど小気味良い。成熟した市場で生産性を高めようとすれば、そういった働き方が労使双方から求められるのも必然だ。そこで、1つの疑問が頭をよぎる。社会の中で零れ落ちたからこそ奔放に振る舞っていた浪人たちは、幕藩体制が崩壊した後、果たして幸せに暮らしていけたのだろうか?と。

「自分らしさ」を貫いた浪人街の人々は、「自分らしさを選ばされていること」には最後まで頓着せず、社会は彼らとは無関係に変化していった。(原田芳雄のみ、変化に気付いていた風のシーンがあったが。)

うつろい易い浮世にあって、せめて「自分らしさたらしめているもの」について自覚的でありたいと、マニーにはなれないという諦念を抱きつつ、浪人街に生きる私は強く思うのである。

 

追記:
先日、「許されざる者」日本版を観た。日本版においては、許されざる者は渡辺謙ただ一人であったように思う。李相日監督はリメイク版の企画にあたって贖罪をモチーフに加えたのかもしれない。

いずれにせよ、この文章はクリントイーストウッド版を題材としていることをあらためて追記しておく。

 

 


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