日本最古の温泉、道後温泉。
その道後温泉で最大の謎とされているのが「伊予湯岡碑(いよのゆのおかのひ)」です。
はるか昔、聖徳太子が道後温泉に滞在した際、その風景とお湯の素晴らしさに感動して詩を詠みました。
そして、その詩を石に刻み、「湯の岡」という場所に碑として建立したといいます。
この逸話は伊予国風土記など複数の書物に記録が残っていますが、実物は未だ発見されていません。
碑はどこに建てられ、どこに行ってしまったのか。
一説には、中世に道後の地を支配した河野氏が、居城である湯築城を築城する際に持ち去ったとも言われていますが、真相は謎のままです。
さて、昨年9月にオープンした「飛鳥乃湯」は、その名の通り飛鳥時代をコンセプトに作られた、道後温泉で三つ目の公営浴場です。
飛鳥時代は今からおよそ1400年前、聖徳太子が生きていた時代。
聖徳太子が道後温泉を讃えた詩には、「神の温泉を囲んで、椿が互いに枝を交えてしげりあい、椿の実は花びらを覆って温泉に垂れている」とあります。
それにちなみ、「飛鳥乃湯」には椿の生い茂る神泉のイメージをデザインした中庭が作られました。
そしてその中庭には、「伊予湯岡碑(いよのゆのおかのひ)」が再現されています。
この碑に刻まれた漢詩、実は、聖徳太子自身が実際に書いた文字なんです。
色々な書物に残っている聖徳太子の文字を、1つ1つ拾い上げて作られました。
(残念ながら数文字だけ、直筆文字が存在しなかったそうです。)
椿の花の輝くような赤色。
足元を流れる神の湯のせせらぎ。
そして、1400年前の文字。
この中庭には、私たちの日常を忘れてさせてくれるものであふれています。
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